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ABOUTフジについて

50年の想い

昭和42年

フジ設立

戦後の混乱期がようやく終わりを告げようとしていた昭和25年、尾山悦造は10人の仲間たちと広島に繊維問屋『十和織物株式会社』を設立。高度経済成長の波に乗り、昭和32年には売上高10億円を突破。名実ともに西日本一の地方問屋へと成長を遂げました。
しかし、昭和37年、議論の末、より消費者に近づくのが重要とし、小売業フジの設立を決断します。
昭和42年、広島の得意先、小売業者への配慮から1号店は愛媛県宇和島に開設を計画。
同年10月、快晴の宇和島市にフジ1号店が開店。
初日には宇和島市民4分の1にあたる15,000人が来店。四国で大きな流通革命が幕を開けました。
その様子に涙した初代社長・尾山謙造は、社内報でこう述べています。
『よりよい品をよりやすく、全ての人に親切に』それはその後のフジへと続く、不変のテーマでした。

昭和42年 フジ設立

昭和53年

決断の年

昭和53年、尾山謙造の兄である2代目社長・尾山悦造は、瀬戸内沿岸地域に住む1千万人の生活・文化を支えるとともに、創業から12年にわたるフジの小売業のノウハウを十和の得意先に提供し、ともに研鑽し、共存共栄を図る『地域の新しい秩序づくり』を目指す瀬戸内リージョナルチェーン構想をもとに、ついに広島への再進出を決断します。
しかし広島再進出は困難を極めました。
フジの知名度のない広島では行政や地域との交渉が難航。地元関係者に粘り強く出店交渉・訪問を重ね、人間関係を築き、ついに昭和56年9月、フジショッピングスクエア高陽店オープン。
悲願の広島出店を果たしました。
その後、昭和57年10月、ファミリーデパートを目指し、「子供の国」や「文化教室」などを設置したショッピングスクエア広島、昭和59年に高知県、昭和62年に山口県、平成11年に香川県、平成13年には徳島県に進出。フジは壁を乗り越え、大きく成長していきます。

昭和53年 決断の年

昭和63年

社運をかけた一大事業を敢行フジグラン松山誕生

フジグラン松山の前身であるフジショッピングスクエア駅前店は、昭和48年に開店以来愛媛県内最大の店舗として多大な貢献をしてきましたが、時代のニーズに合わせ、松山市内だけではなく、愛媛県内全域から集客できる新しい店舗に生まれ変わることを期待されました。
社運をかけた一大プロジェクトは「スタジアム・タウン構想」と命名され、生活者の日々の生活をトータルに包む「総合生活提案企業」として、物販だけでなく、情報・文化・サービスの発信基地とし、大規模かつ壮大なイメージを「GRAND」という言葉で表し「フジグラン松山」と名付けました。コンセプトは、感動、驚き、新鮮、楽しさ、満足感をイメージさせる為に、新世界の広がりを感じさせる『くらしコロンブス宣言』。
フジグラン松山は平成元年12月1日オープン。開店初日の来場者数は約8万人、売上高は2億5千万円を記録しました。

昭和63年 フジグラン松山誕生

平成20年

エミフルMASAKIオープン

愛媛県伊予郡松前町では、新しい市街地を形成するにあたり、大型商業施設の誘致を図り、開発計画を進めていました。平成15年に開発協力を申し出たフジのプランが採用され、平成16年、中四国最大級の商業施設建設計画がスタートすることになりました。
ショッピングセンターの名前は公募で『エミフルMASAKI』に決定。『エミフルMASAKI』は松前町の『誇りとなるまちづくり』の一端を担うため、インフラ整備や防災、雇用創出などの協定が結ばれました。施設周辺には町役場や文化センター、駅などが一体となった次世代型ショッピングセンターとして、敷地、建物の規模、機能の充実度、全てにおいて中四国最大級の規模であり、また、フジ最大となる168の専門店が入店しました。
平成20年4月、グランドオープン。オープン初日の売り上げは2億円。来店客数は約12万人を記録。『四国の買い物客の流れが変わった』と称されるほどの好調な滑り出しとなり、中四国の流通業界は新時代を迎えることになりました。

平成20年 エミフルMASAKIオープン

創業50周年 フジの歩み『その手から、この手に』

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フジの歩み